それぞれに見える天使

ággelos

ぼくは天使が好きだ。

はじめは、天使について

ほとんど知らなかった。

天使は、宗教の中にいる。

ただそれだけのことが、

ぼくの中にあった。

いつからか、天使は、

ぼくの世界に一緒にいるようになって、

ぼくは、天使を日々

見つめるようになっている。


いまの世界には、

たくさんの天使が存在している。

ぼくに見えている天使。

それぞれに見えている天使。

見え方は、ほんとそれぞれで、

そこに、ほんとの天使はいるのだろうか?

だからなのか、ぼくに見えている天使を、

時々「ただのまぼろし」と思えてしまう。

それでも、ぼくは、ぼくに見えている天使を、

ぼくの中で消すことができなかった。

むしろ、天使への愛は、少しずつ

実りに向かっているのかもしれない。


それぞれに見えている天使が

ぼくに見えている天使と違っている。

よく考えれば、このことは、

ただあるのみなのだけれど。

いのちが、ぼくであることを、

それぞれであることを判断しているのだ。

いのちは、いのちのもとで、

生まれる環境によって、それぞれの生き方で育つ。

いのちが生まれる環境が、

たとえ似通っているとしても、

さまざまな要素で、いのちは、

それぞれのいのちの個性を帯びる。

それぞれのいのちが、

それぞれのいのちで、

それぞれの天使を見ているのだ。

なのに、違って見えているだけで、

それぞれのいのちの中で、

さまざまなものが生まれてしまう。

だからといって、生まれているものに、

罪はあるのだろうか。

ただそこには、それぞれの前に、

選ぶというものがあるのみに思える。

それぞれに見えている天使でも、

それぞれに見えている世界でも、

それぞれの中で、それぞれにあるのだと、

そう思うだけで、いいのかもしれない。

拒めば拒むほどに、拒む心は、

もっと強い拒む心を呼んでくるようだから。

こういったものは、

クセのようでもあるみたいだし。

だから、無理に受け入れる必要もないと、

ぼくは思っている。

ただ、それぞれにあるのだと認識する。

もし、拒む心が出てきているのなら、

それぞれにあるものだと、また認識する。

これまでの生き方による、

クセのようなものも、きっとあるだろうから。

ここは、焦らず、根気よく、

軽い気持ちで取り組んでみる。

こういうものは、きっと、

タイミングもあるだろうから。

しかし、こうは思っているけれど、

できない日だって多い。

けれど、こうして日々を重ねることで、

きっと、兆しはあると思うから。

ほんと、できない日だって

多いかもしれないけれど、

ぼくは、ぼくに見えている天使を、

大切に、選び、日々を重ねたい。

そう思い、そう願っている。

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