天使との日々が大切になって、
ぼくは、愛を考えるようになっている。
ぼくの心の中での「愛」は、
「Love」には届いていない。
単に「Love」とは思えないようだ。
愛のことが少し気になったもので、
愛ってなんだろうとぐぐってみることに。
すると、色んな愛の意味が出てくる。
けれど、ただそう思えるだけのものが
あるのみで。
古代ギリシャでも、四つの愛を述べている。
・アガペー(ἀγάπη/Agape)
・エロス(ἔρως/Eros)
・フィーリア(φιλία/Philia)
・ストルゲー(στοργή/Storge)
「愛」という名の心を、あえて
「ことば」のカタチにしているもので、
そもそも、心も、カタチなきものだから、
ことばでの、これ以上のものを考えるのは、
熱が出そうな感じになるのかもしれない。
少し前のことではあるけれど、
「エロス」のことが気になり、
色々と、さんざん考えたことがある。
(天使にも聞いていたね、そう思えば)
ぼくの場合だけれど、天使は、
すぐ答えをくれたりしないのが多い。
(気のせいではない)
(そんな気が確かにする)
むしろ、ぼくの心の歩幅を
よく見ているような感じまでする。
(このことは、さておき)
考えすぎるまでに、
頭の中をくるくるしながらも、
何かを掴めそうになると、天使は
静かに、ぼくに、声をかける。
「愛がなければ、いのちは、
生まれなかったかもね。」
天使は、愛の意味を
言ってくれてはいない。
はっきりもしていない。
だけど、そうかもね。
と、ぼくは、ふと、そう思えて。
ぼくの思考のエンジン音が
消えてゆくのを感じる。
いのちが生まれる意味など、
そもそもないのかもね。
もしかしたら、生きる中で、
手にとれるような、あたたかいカタチが
ほしかったのかもしれない。
これもまたカタチなきものだけれどね。
ぼくは、ふと、天使を思う。
天使は、どんな「愛」なのだろう。
アガペーのようにみえたりする?
ところも、あるかもだけれど。
ここは、天使とぼくの秘密にしてみる。
ここもまた、それぞれで、
いいのかもしれないのだから。
ぼくは、ただ、ぼくの、
どんな愛の天使と、
日々を大切にしたい。
そして、ただ、大切にする。