ぼくの、昔からのクセで、いまにもなお、
やってしまうことがある。
それは、予測する。
2、3年前までは、それなりに機能していて、
よく使っていたもの。
けれど、天使との間を深めると、
予測するという機能を使わせてくれなくなっている。
はじめは、かなり戸惑っていて、
力でなんとかしようとしていたけれど、
そのたびに、大きいブロック
のようなのが、前に立ち、道すらも
見せてくれようとしないのだった。
このことが、半年ほど、続いて、
少しあきらめがついてくる頃に、
「もう必要ないでしょう?」
と天使が声をかける。
ぼくは、少しイラついて、
だけど、すぐにため息を吐くのだった。
なんとなく、理由は知っているから。
ぼくが天使を知る前までの世界では、
「予測する」のままに、近い先があった。
これは、それぞれの個を活かして、
ある点までに、到達させる。
というような、目的があるとか。
(ぼくの場合は、たぶん、そうだ)
このことについて、深く考えても、
もう答えはないので、これ以上は考えない。
けれど、もう必要ない。という、
天使のことばを、少し考えみたくなっている。
未来を予測して生きるのは、
かなり便利だったりする。
でも、楽な道とは言えない。
予測できるからこそ、
ハードだったりもするから。
いまから、2、3年年ほど前は、
世界が大きく変わるという空気みたいなのが、
あったように思える。
ぼくも、その時は、
そう感じられていたのかもしれない。
けれど、いまは、そのことに、ぼくは、
ぼくの考えに、少しの修正を入れている。
世界は、いつだって、
変わるさなかだとね。
ただ、ゆるやかなのか。
ただ、いっていなのか。
ただ、はげしいのか。
いまという世界は、三つといえる
動きというものが、よく混ざっている、
ように見えている。
ただ、そこに、ただ、はげしいが、
もっとある感じがするのかもしれない。
ただ、はげしいがもっとあると、
ふとすると、先は、すでに変わっていたり
するのだから。
だから、予測したって、予測は、
もう機能しないに近いものがある。
いまだに、クセで、前を見ようとする。
そうすると、必ず、前をふさぐものができる。
未来を予測して、生きるのは、
心が先にいっている。
このことに、いいとか、悪いとかが
あるわけじゃないとは、ぼくも思っている。
けど、先を生きられるのって、
どんなものであっても、
それは、わからないのではないだろうか?
過去・現在・未来が、平行線で
できているとは思っていない。
どれであっても、「いま」しかないのでは?
と、ぼくは、ふと、そう思えている。
未来のぼくなんて、未来のぼくであって、
いまのぼくでもない気がする。
気がするであって、「なにか」ある
わけでもないのだけれど。
どれを生きるとなっていても、
いまにいる、ぼくにしか、ぼくを
生きられないように感じられている。
いまも、つい、予測したがる。
このクセは、治れそうもないのだけれど。
けど、いまをつないでくれている、
ぼくと天使との日々を、大切にしたい。
このことも、また、明日という日に、
あるかどうかも、わからないから。
だから、それぞれの大切で、
いまを生きる。
シンプルだけれど、シンプルだからこそ
のものも、あるかもだけれど、
ごっちゃと考えすぎずに、ただ、
いまにある、ひとつずつを、してゆく。
ただ、シンプルに、生きるで、いいのだと、
天使は、そう伝えたかったのかもしれない。