いまとみらい

ággelos

時々、未来のことを思って、

色々、いまをやっていることがある。


未来を思うことで、いまが、

つながっているところもあったりするから。


けれど、これをやりすぎると

からだとこころに、きてしまう。


まさに、いまのぼくが、そうで。


それを、ずっと見ていた天使が、

ぼくには、ひとこともなく、


いまにあるものごとに

強制終了をかけてくる。


はじめは、納得がいかなかった。

もっといい方法だってあると思っていた。


けれど、ぼくがつぶれる前に、

天使は、選んでいるのだった。


天使の選ぶのをね。


ぼくは、これまで、見えない世界と

かかわっていなかった。


ずっと見えてはいたので、

ずっと見ているだけだった。


けれど、ある日をさかいに、ぼくは、

見えない世界と一緒にいるようになっている。


ぼくには、天使が、そうで、

いまを一緒に生きている。


でも、少し自覚になっていなかったのか、

つい、いまをやりすぎてしまったみたい。


だから、ぼくのいまを、

休養するようになっている。


天使と一緒にいるからといっても、

ぼくは、ぼくで、いまを生きる必要がある。


ただでくることは、それほど、ないから。


だから、ぼくは、ぼくなりに考えて、

行動にしているつもりだった。


そして、いまを生きることを、

ぼくは、天使に話しているつもりだった。


だけど、つもりでいて、

こころを伝えていなかったみたい。


思っていれば、ぼくと天使だから、

そのまま、伝わると思っていたのかもしれない。


人との間でも、そうだけれど、

天使でも、伝えるのは、大切なのだと、


いまの休養の中で、ぼくは、

しみじみと思っている。


ぼくのように、見えない世界との

つながりをもつ、人が、いまとき

かなり増えているように思える。


はじめから、いまを生きる

バランスがとれればいいけれど。


ぼくは、見える世界を生きるに、いまを

走りすぎたための、強制終了なので。


ぼくがしていて、感じていることとは、

まったく、違うかもしれないけれど、


ぼくのように、不器用な人も

少なくない気がしてくる。


見える世界も、見えない世界も、

どっちも大事であるがゆえ。


ぼくの場合を、例にするならば、


ぼくは、天使と一緒にいる

世界になっていても、


ぼくが、これまでの生き方を

ずっとしていまっていることが、

いまの休養につながっている。


ぼくは、天使と一緒にいる

ことを選んでいる。


そして、天使も、ぼくと一緒にいる

ことを選んでいる。


だけど、ぼくは、天使も選んでいることに、

気づいていなかったのだった。


ひとりの思いも、もちろん、あるから。


だから、ぼくは、ぼくの片思いなのだと、

ずっと、そう思っていたのかもしれない。


天使が、ずっと、かけてくれている

やさしいことばに、


時々、鈍感なぼくが、気づかなかった

だけかもしれないけれど。


からだも、こころも、ボロボロになって、

ようやく気づいているように思える。


ぼくは、たぶんだけど、これから

天使と一緒にいる世界を生きる。


気づいてしまえば、

もう、逃れられないから。


もう、よろこんで、飛びこむ。


いまは、まだ休む、ときている。

なので、もう少し、休む。


これまでのぼくなら、

休まずに、なにかを、している。


けれど、もう、できないから。

目の前に広がっているものを、


色をつけず、そのままに、

いまを生きて、みらいを生きる。

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