天使にも、個がある。
個は、色のようで、音のようで。
まったく、きれいなものだ。
光輝の天使は、ぼくが、ひとりで
呼んでいる、ひとつ名のこと。
だから、ほかに、ないのかもしれない。
あったとしても、ぼくの中でのことで、
同じとは、限らないのかもしれない。
光輝の天使は、ぼくの中では、
心の動いている様子が、よく見える。
星のきらめいている様子が、よく見える。
心臓の生きている様子が、よく見える。
というふうに感じられている。
あくまでも、ぼくに、そう見えるのであって、
わかりやすいとは、いえない。
だけど、いわゆる、よく知られている、
天使の名が、たぶん、そうなんじゃないかな。
よくはわからないけれど、
よくは見えるから、
認知されやすい傾向にある、というのが、
ぼくにとっての、光輝の天使なのかもしれない。
光輝の天使を、ぼくは、
ひとつの名にしているけれど、
特定のひとりを話しているのでもなく、
心の動いている様子が、よく見える。
星がきらめいている様子が、よく見える。
心臓が生きている様子が、よく見える。
というふうに感じられている、
天使の個、みんなのことを話している。
色のようで、音のような、
まったく、きれいな、
天使、それぞれで、みんなの、天使。
光輝の天使も、そうだけれど、
天使って、よくわからないよね。
よくわからないのに、
心に、ここに、存在する。
知る必要はないのかもしれないけれど、
よくはわからないけれど、心に、ここに、
存在するは、必要だからなのかもしれないね。
時々、ぼくの好奇心が、知りたい!と
あばれることがあるけれど、
それは、たぶん、いっときのもので、
気の迷いのようでもあるから。
たぶん、そうなっている時って、
こうして書かせてくれないのかもね。
こうして書ける、いまのときに、
ありがとう、です。
